【会社員→フリーランス】働く環境を変えて適応障害を1ヶ月で克服した話

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こんにちは、わたなべです。

僕はかつて人材紹介会社に勤務していたことがあるのですが、半年足らずで適応障害になり、まもなく退職しました。

本当は休職したかったのですが、仕事内容と僕の特性が絶望的に合っていなかったこと、また会社からやんわり退職をすすめられたことから、別の道を歩むことを選択しました。

そして、会社員として働くことを諦め、業務委託で生計を立てていくことを決意。その結果、1ヶ月後には何事もなかったかのように、バリバリ仕事をこなす日々に戻ることができました。

現在では、かなりストレスフリーな生活を送ることができ、何なら年収も上がりました。

この記事を読んでいる方の中にも、「会社に行けなくなってしまった」とか「辞めたいが休職か退職かどうしよう…」と考えている方が多いかもしれません。

そこで今回は、僕が退職してから現在に至るまでに実行したことを紹介します。

この記事は、特に以下のような方に役立てていただけるよう、記事を作成しています。

  • 適応障害で会社に行けなくなってしまった方
  • 退職してしまうと再就職が難しいのではないかと不安な方
  • 本当は仕事で苦しむことなく、自分の好きなことをやって生きていきたいと思っている方

✅この記事の内容

  • 働く環境を変えて適応障害を1ヶ月で克服した話
  • 業務委託で働くことの3つのメリット
  • 自分の人生に優先順位を付けるとやるべきことが見えてくる
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働く環境を変えて適応障害を1ヶ月で克服した話

この章では、僕が適応障害になるまでの経緯や、どう克服したかについて、時系列で紹介していきます。少し長くなりますが、是非お付き合いください。

僕が人材紹介会社に就職した理由

僕が33歳の頃、1年半ハマっていた労働マルチの洗脳から解放された直後のお話。貯金の大半を失ってしまったため、すぐにでも働き出す必要がありました。

まともな転職活動が今回で初めてに等しく、年齢も年齢のため、なかなか条件に合致する企業に出会うことができませんでした。しかし、転職活動3ヶ月目にして、とある人材紹介会社から内定をゲット。条件面も悪くはなく、二つ返事で引き受けることにしました。

この瞬間、ニート生活を脱することができ、社会復帰の喜びを噛み締めることができました。

当時の志望していた業界は、経営コンサルか人材でした。そして、人事・webマーケティングを学びつつ、中小企業診断士の資格を取ること目標としていました。今思えば、何者になりたかったんだろうか…

働き始める会社は人材業界のため、「人事が学べるのは最高じゃん!」と盛り上がっていた僕。しかし、この選択がよくありませんでした。

自分の社会常識のなさを痛感

新天地は、事務機器の販売から始まった中規模の会社。その中の人材紹介部門に入ったという形です。

先輩方、自分を含めて5名の少数精鋭チーム。この中ならライバルが少ない分、ちょっと活躍すれば王様にされるかもしれんと意気込んでいました。

(なんてったって、僕は自動車会社で全国表彰されたこともある猛者ですよ?楽勝🎶)

そんなことを考えていた矢先、挨拶がわりに言葉遣いを指摘されます。

電話対応の時、僕は「もしもしー↑」とテンションアゲアゲ☆で出ていたのですが、これがまずかったようです。自動車会社の時は、誰からも言われなかった点に躊躇。ちなみに正解は、「お電話ありがとうございます。株式会社〇〇の渡辺がお受けいたします」で良かったみたいです。

他にも、上司に対する態度が馴れ馴れしく、「私、あなたの友達じゃないんだけど」と言われたり、仕事中に何度も話しかけないよう注意されました。僕は至って普通に接していましたし、仕事もどう進めていいかわからなかったので話しかけてたんですよね。

とにかく、古巣の常識が完全に通用しない環境に来てしまったと悟り、ホームと思っていた職場が一瞬でアウェーのようになった気がしました。それと同時に、いい大人なのに社会常識を学び直さないといけなくなり、気が重い日々が続くことになりました。

商品が人材であることの難しさ

人材紹介業のビジネスモデルは単純です。人が欲しい企業に求職者を紹介し、面接に通れば紹介料をいただけるというものです。しかし、業界ごとに企業の欲しい人物像は異なりますし、求職者も転職に求めるものが千差万別なので、行うは難しの代表例のような仕事です。

■参考記事>>人材紹介会社の仕事はアドバイザーではなくガチ営業【求職者は商品】

転職後、1ヶ月が過ぎ、人材派遣に登録しているスタッフの方を引き継ぐことになり、必死でフォローを始めました。企業側の要望と、現場に入っているスタッフ側のそれを仲介しお互いwin-winな状態を作り出すのが僕の仕事です。

自動車会社でお客様のアフターフォローをしていたので、楽勝でした。でも、そう思っていたのは僕だけでした。

「あの人はよく人の話を聞いているしメモも取ってるんだけど、要望通りに動いてくれない」と会社にクレームが入ります。

(いや、動いてくれないのはあなたの方なんだけど)

つい思っていることが口に出そうになりながらも、どう改善したらいいか指示を仰ぎ、スタッフフォローに心血を注ぐことに。しかし、クレームは止まりません。

今度は企業側から、「我々の内部のことについて改善して欲しいと言ってくるけど、スタッフにわかるように説明するなり、スタッフを変えるなり、何とかするのがあの人(=僕)の仕事じゃないんですか?」とのこと。

そうです、僕は言っている自覚はありませんでしたが、「あなたの会社のこういうところが良くなくてスタッフが働きづらいと言っています。改善してください。」と言っていたのです。良くないところは良くないとはっきり言ってしまう正直な性格が裏目に出ました。

これが商品が人間であることの難しさかと痛感。僕の転職は成功したと思っていましたが、暗雲が立ち込めてきました。

全く成果が出ないことで会社に行けなくなるという事態に

転職して3ヶ月あたりから、何の成果も出していない僕への風当たりが強くなってきました。そして、今まで自由に活動させてくれていた上司から、とにかくテレアポして企業訪問することを命じられます。

ただ、テレアポなんてほぼやったことがありません。自己流でトークスクリプトを作り、youtubeでテレアポを研究し始めましたが、簡単に予定なんて入りません。飛び込み訪問ならやっていたので提案するも、「コロナ禍なんだからやめろ」と即却下。

そんな中、4ヶ月目くらいから、少しずつ企業の人事担当者に時間を作ってもらえるようになってきました。ただ、各業界に詳しいわけでもなく、ましてどんな言葉を投げかけたら目の前の方が喜ぶのかとかも全くわかりません。足を止めることだけはしない僕が、割とぶっつけで訪問を繰り返していきます。

企業からの案件はあるにはありますが、ニッチ過ぎる業界だったりします。そういった会社は専門的な人材が欲しいものの、なかなかマッチする求職者がいないので人材会社を頼るのです。高卒で20代でアパレルしかやってこなかった女子とかを取ってくれる会社はそうそうありません。現実って厳しい。

そうこうしているうちに、僕は会社の中で、半年間1件も契約を取っていない人に成り下がっていました。アツい案件も小さな案件も、片っ端から全力で当たりましたが全てダメ。何をしたらいいのかわからなくなってきました。

それと同時に、毎日何かしらミスをするようになっていました。元々ミスは多かったのですが、明らかにできていたことができなくなっていっているのは自覚がありました。

そして、とうとう会社の前まで行ったものの、建物の中に入れなくなってしまうという瞬間がやってきてしまいました。動きを止めないことだけは自信のあった僕でしたが、この日だけは無理でした。

(あれ、おかしいぞ)

近くの公園で待機していましたが、その日は会社に行くことを諦め上司に報告。何もせず帰宅することにしました。

こんなことは人生で初でした。ただ、「もしかしたら今日も誰かに何かで怒られるのか。」と考えながらも、家族を養う一心だけで会社に行っていたのは事実です。僕のメンタルは既に限界だったのかもしれません。

向いていない環境で働き続けた結果

とりあえず数日間休むことを上司に申し伝えると同時に、心療内科に通い始めました。僕は、少しセーブしながら会社勤めを継続したいという気持ちを持っていました。

しかし、会社からしたら即戦力として僕を雇っているわけで、そんな豆腐メンタルなやつは、はっきり言って必要ないわけなんですよね。それは僕もわかっていました。

1週間が過ぎ、上司と会社の総務の責任者と話し合うことになりました。あまりにも業務に僕の特性がマッチしていなかったことを理由に、会社側は退職することを推してきます。一度は継続したいと前向きな態度を見せましたが、確かにここで固辞することが最善ではない気がします。これ以上会社に迷惑はかけられないと思い、僕は空気を読み退職を願い出ました。

せっかく苦労して掴んだ転職先でしたが、結果的に半年で去ることになりました。ただ、いろいろな職場があるにせよ、いかに自分が会社員に向いていないかを身をもって知ることができたという意味では、貴重な経験をさせていただきました。

これにより、今後会社員として再就職することを100%諦めました。休みたかったのですが、経済的な余裕がなく、すぐに働き出すことが求められていました。しかし、今回はよく自分のことがわかっていたので、希望する働き方はすぐに絞ることができました。

僕が軽貨物ドライバーを志望した際の5つの軸

僕は退職してから数日で、次に向けて動き出しました。メンタルは弱っていましたが、体は元気でしたし、向いていない職場環境から離れれば大丈夫なことはわかっていました。

次の転職に求めることは以下の5点でした。

  • 高単価であること
  • 業務に専門性を求めないこと
  • できるだけ人と関わりのない仕事であること
  • 事務所の外に出られる仕事であること
  • 本業に時間を取られ過ぎない生活が可能なこと

短い時間で十分な生活費を稼ぎながら、専門スキルを獲得するべく副業を始めようと考えていました。そして、この条件に最も合致するのが軽貨物での宅配ドライバーでした。

とりあえずリクナビNEXTに登録し、『千葉・宅配・求人』で検索を開始。とりあえず大手と契約しておけば間違い無いかなという発想で面接を申し込みます。

すぐに採用が決定し、実際に働き始めるまでは1週間程度と、かなり早かったのを記憶しています。

とにかくキャッシュを稼ぎ出さなくてはいけないため、最初のうちは何時間でも何連勤でもやってやろう、と思っていました。ですので委託会社に細かい注文はつけなかったのですが、荷物の量や報酬例だけは確認しました。

お金のためにやるわけなので、そこだけは譲れませんでした。というか、一度業務委託で失敗している分、今回の転職ばかりは成功しなければと必死でした。

■関連記事>>【脱サラ】失敗しない軽貨物ドライバーの始め方【未経験で不安な方へ】

そして、大手配送会社の現場を紹介してもらい、5日間の研修を経て、晴れて独り立ち。初日は1日かけて何とか80個配達するのが限界でした。ミスもしました。お金がないのに駐禁も取られました。

しかし、10日目には190個配達できるまでになっていました。サインをもらう配達でこの個数というのは、ベテランでも人によっては配りきれない量です。僕にはこの仕事が向いていたのです。1日でも早く地図なしで回れるよう毎日覚えたり、積み込みを最適化したり、必死でやった甲斐がありました。

僕が適応障害を1ヶ月で克服した方法

前置きが長くなりましたが、まとめます。

■僕が適応障害を1ヶ月で克服した方法

  • 早い段階で会社を退職しストレス要因となる環境から離れた
  • できるだけ人と関わらない環境で働き始め、人間関係を制限した
  • 【会社員=安定ポジション】という考えを捨てた
  • ブログを開設し熱中できるものを持つようにした

特に、専門スキルを習得する先を、本業から副業に求めたのが大きな決断でした。ストレスの少ない生活リズムが出来上がったことで、適応障害の症状は自然と消えていきました。

おかげさまで家計は安定し、配達の合間に記事作成するという、充実した日々を過ごすことができています。

業務委託で働くことの3つのメリット

現在の僕は、主に業務委託の軽貨物ドライバーとして働いています。拘束時間が長いですし、決まった業務をこなすことで月額報酬を受け取るような仕事なので、正直働き方は会社員に似ています。

しかし、会社員と業務委託では、明らかに違う点が存在します。僕が思う、業務委託が有利な点は以下の通りです。

  • 雇用契約による主従関係が発生しない
  • 業務の範囲が決まっている
  • お金の流れが理解できる

一つずつ解説します。

雇用契約による主従関係が発生しない

会社員と業務委託の最大の違いは以下だと思っています。

  • 会社員→会社のルールに縛られる
  • 業務委託→特定の業務にのみルールがある

会社員のルールには、就業規則だけでなく、上司の理不尽な命令や、会社によっては特有の謎ルールがあったりしますよね。さらに、いまだに副業を禁止している会社も多かったりするので、何で会社で働くだけでプライベートも制限されないといけないのかがずっと疑問でした。

しかし、業務委託の場合は、業務に関係する最低限のルールだけ守ればOKで、それ以外の時間どう過ごそうが自由です。それだけでも、僕は精神的負担が10分の1以上は減らすことができました。

業務の範囲が決まっている

業務委託は仕事の範囲が限定されているので、契約以外の余計な仕事を行う必要はありません。

しかし、会社員はメインの仕事から雑用まで幅広くこなす必要があります。

僕が自動車会社時代は、新車・保険の販売や、点検の獲得が主な業務でしたが、ショールームのコーヒーを淹れたり、ツナギを着て駐車場の線をペンキで引き直したりすることも仕事の一部にされていました。

今思えば都合よく使われていたと感じますが、給料をもらっている以上逆らうことはできません。

今の僕は配達員なので、配達のことだけ考えていればOKです。余計な仕事をする必要がなくなったことで、この記事を書く時間ができました。

お金の流れが理解できる

会社員時代と比べて、お金の流れがわかるようになりました。というか、把握していないとやっていけないので、嫌でもそうなっていきました。

  • 会社員→年末調整を会社でやってくれる+社会保険料や年金が天引きされる(しかも会社が半分払ってくれる)
  • 業務委託→確定申告を自分でやる(保険や年金は当然全額自分で払う)

僕は会社員の時は、とにかく販売マージンで手取りを増やすことだけを考えていましたが、現在は売上を増やしつつ、いかに節税するかを同時に考えています。

■関連記事>>僕が未経験からの軽貨物ドライバーで月の手取り30万円を稼いだ方法

自分の人生に優先順位を付けるとやるべきことが見えてくる

僕は小さい頃から、「良い学校に行って、良い会社に行って、仕事を頑張って昇進して、そうすれば将来安泰に暮らせる」と母親から言われて育ちました。

割と聞き分けが良かったのか、思考停止していたのかわかりませんが、僕はその言いつけをずっと守って生きてきました。すると、いつしか以下のような考え方に支配されていました。

  • 有名大学に合格できたら入試成功
  • 名の通った会社に入社できたら就活成功
  • 結婚して子どもがいて、持ち家に住んで仕事を頑張っているのが幸せな家庭
  • 孫の顔が見られたら子育て成功

どこか、全て漠然とした目標ですよね。こうした理屈にようやく疑問視し出したのが30歳の頃です。そして32歳で新卒入社した会社を辞めました。

現在37歳ですが、できる限り自分主導で生きていこうと決め、人生における優先順位を付けています。

  1. 成人までは子どもを一人前に育てる
  2. ブログで1日100円稼げるまで続ける
  3. 数年ぶりに家族で旅行に行く
  4. 人生のどこかでもう一度スペイン旅行に行く

優先順位第1位は、やっぱり子どもを大きくすることです。とりあえず成人までは責任を持つべきだと思うので、僕がやるべきことは最低限お腹いっぱい食べさせてあげることです。

第2位は、本業以外に収入の柱を持つためです。日々考えながら、とにかく行動あるのみです。

第3位は最近の目標ですが、来年までに家族で旅行したいという気持ちが出てきました。

第4位は、時期を決めるのは無理ですが、いつか絶対に実現させたいと思っています。

こうした目標を達成するために、ドライバー稼働で貯金をしつつ空き時間にブログ記事を作成するという行動がルーティーン化しました。

一方、余計な行動は全て排除しています。ニュースは見ませんし、飲み会も行かなくなりました。サブスクでアニメ見たりはしていますが、休憩時間だけと決めています。

とにかく稼ぐために時間を全振りしていますが、ストレスはありません。むしろ、会社員時代よりも自分の人生を生きている感覚がああるので、充実感がハンパないです。

あなたの人生の優先順位は何ですか?そんなこと考えなくても良いかと思いますが、会社は従業員の幸せを第一には考えてくれませんし、仕事のために仕事をするのは長続きしません。

イヤイヤ会社に行っていたり、プライベートを犠牲にしている方へ。仕事を抜きにして、本当はもっとやりたいことがあるんじゃないでしょうか。是非一度、立ち止まって考える機会を作ってほしいなと思います。

今回は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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