いい大学に行っていい会社に就職しろという親のエゴに振り回された14年間

生き方

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こんにちは、わたなべです。

僕はずっと親を恨んできました。しかし、現在はそういった感情はほぼゼロです。

タイトルの件、この「いい大学に行っていい会社に就職して、仕事頑張ってれば安泰なんだから」という呪文のような日本語。僕は小学生の時から母親に言われ続けてきました。

この考え方を刷り込まれると同時に、小学生では私立中学受験のために塾通いの日々を送り、高校生では名の通った大学を受験するため予備校に通い、大学時代は足を棒にしながら就職活動に奔走しました。

将来は会社の中で出世して、結婚して家庭を持って、家を買って幸せに暮らすものだと思い込んでいました。そして、実際にその通りの人生を送ってきました。

ただ32歳を迎えた頃、これまでの生き方に疑問を持ち、新卒で入社した会社を思い切って辞めました。どこか自分の人生を生きていないな、と感じるようになったからです。

その後は労働マルチにのめり込んだり適応障害になったりしたので大変だったのですが、現在は自分で決めた人生を歩むことができていると感じています。

おそらくこの記事を読んでいる方の中には、僕と同じように親から過度に期待をされて育った(または現在進行形で期待をされている)方も少なくないでしょう。

今回は、いい大学に行っていい会社(?)に勤めた結果を紹介するとともに、どのように親に対する感情を鎮めたかについて書いていきます。

特に以下のような方に役立てるよう、記事を作成しています。

  • 親から「いい大学に行っていい会社に勤めなさい」と言われ続けた結果、どうなったか知りたい方
  • 親の過度な干渉に嫌気が差している方
  • 自分の人生、好きに生きたいと感じている方

✅この記事の内容

  • いい大学に行っていい会社に就職しろという親のエゴに振り回された14年間
  • 大人になって親への恨みがなくなっていった3つの理由
  • 自分の人生を生きると決めた時に実践したこと一覧
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いい大学に行っていい会社に就職しろという親のエゴに振り回された14年間

僕は現在37歳、業務委託で配達員の仕事をして生計を立てています。おそらく親が歩ませたかったであろうエリートコースからは程遠い人生になっていますが、僕は割と幸せです。

しかし、23歳くらいまでの14年間は、親が決めた人生を生きてきました。少し長いですが、是非最後までお読みください。

「あの子と同じ学校でいいの?」という言葉の暴力

僕の中学受験生活は小学校3年生からはじまりました。近所の学習塾に連れて行かれ、訳もわからず学力テストを受けさせられることに。

結果は1週間くらいで出た気がしますが、そこに書かれていたのは偏差値60の文字。教室長から、「これは開成を狙えるかもしれませんねぇ」と言われ舞い上がる母親。

まともに受験勉強なんかしてない超凡人の僕が、初見で偏差値60出てしまうような代物なので、明らかに接待テストなわけですよ。ただ、これをきっかけに母親からのスパルタ教育が始まってしまいます。悲しい。

小4で週2回、小5で週3回、小6で週4回と塾の授業数は増えていきました。しかも、小5からは電車に乗って選抜クラスに通う日々。

学校は普通に行きますが、学校の宿題は休み時間に全て終わらせます。下校後はすぐに塾の宿題を終わらせる必要があり、家族はテレビを見て笑っているのに僕は我慢。夏休みだって30日は塾に行って勉強、授業がなくても自習のために行っていました。

ただ1回だけ、どうしても友達と遊びたくて塾をサボったことがあります。塾から自宅に電話が入ったことで発覚し、母親にめちゃくちゃ怒られたのを覚えています。

「公立の中学でいいの?あの子たちと同じでいいの?」

あの子とは、遊んでいた同級生の子たちのことです。この言葉を母親から投げかけられ、僕は「私立行くよ」と答えましたが、偏差値でしか物事を見ていない母親に絶望しました。

小6の3学期、受験も追い込み期に入り、親からの指示で学校を全日休むことになりました。ここまでやった結果、第2志望の私立中に合格。長年の努力が実った瞬間でしたが、小学校の友達と離れ離れになってしまうので嬉しくありませんでした。

楽しい思い出のなかった空白の中学・高校時代

中学に入った途端、僕は嘘のように勉強しなくなりました。小学校時代はずっと1番だった成績も、中学時代は後ろから2番か3番が定位置。部活の練習も行ったり行かなかったり。クラスでも浮いている訳ではないものの、特別仲のいい友達もできず、何となく孤独を感じていました。

とりあえず、高校までは試験なしで上がれるため、当面の目標がなくなった僕は頑張らなくなりました。

高校に入ると、部活もやらなくなりました。だからと言って勉強を頑張るわけでもなく、バイトに勤しむわけでもなく、帰宅後宿題は後回しにして、インターネット麻雀とかにハマるような無味乾燥な毎日。高2までそんな感じでした。

僕の通っていた学校はガチの進学校でした。高3になると受験が控えているだけあって、今まで成績下位の常連みたいな人たちも頑張り始めます。僕も周りのそうした動きを見て焦り始めます。

ところが、大学受験という目標だけではなぜか頑張れませんでした。

親の希望は国立なら旧帝大レベル、私立なら早慶上智、最低でもMARCH以上だったので、偏差値がそれに満たない大学は最初から受けませんでした。しかし、結果は全落ち。

今思えば進学しない選択肢もあったわけですが、どうしても大学に行けと言われ、あえなく浪人が決定しました。

親のレールを踏み外すことを決意した大学時代

受験勉強しかしない1年が始まりました。基本週6で予備校に行って、日曜日は休みですがたまにテストが入ってくるような生活です。勉強自体はそんなに好きではなかったのですが、それ以外の余計なことを考える必要がない分、高校時代よりも気が楽でした。

ただ、ここでも何となく人間関係に馴染めないなぁと感じ始めます。周りの人たちを見ると予備校仲間がどんどんできていっているような気がしていて。僕も友達はできましたが、幅広く交流することができず、成績とかよりも人付き合いについて常に気になっている、そんな浪人生活でした。

受験結果はというと、某国立大が第一志望でしたが落ちてしまい、MARCHレベルの私大に進学することになりました。

高校が県内有数の進学校であったこと、さらに一浪していることを考えると、親はもっと上位に合格してほしかったと思います。ただ、ようやく大学受験生活から抜けられるため、僕は1校でも合格できて内心ホッとしていました。

これで晴れて大学生です。都内までの通学なので大体2時間くらいかかります。小遣いはなかったので、バイトしないと定期券が買えず授業に行けないという状態でした。

一浪しているという負い目を感じていて、資格を取るか語学を身につけるか、とりあえずめっちゃ勉強しよう!と息巻いていました。

しかし、バイトはどんどん忙しくなるし、都内は誘惑の嵐だし、授業をサボってカラオケ行ったり焼肉行ったりするのが楽しすぎて、勉強どころではなくなっていきました。

(よし、これはもう親が敷いたレールを踏み外そう…むしろチャンスかも)

そして、卒業できる単位だけは取りつつ、大学3年までは自分のやりたいようにやりました。この時すでに21歳とかだったので、もうだいぶ大人ですよ。親もさすがに管理しようとしてこなくなりました。ひゃっほい。

しかし、大学3年から4年にかけて就活がはじまる時期になると、残念ながらまた母親の過干渉が始まってしまいます。

苦しい思い出しかなかった就活期

周りの学生たちは、早い人は大学3年生の夏休みから、企業のインターンシップに参加していました。ゼミの先輩から情報収集したり、志望業界について研究したり、PRできる点について自己分析したり、みんなが右に習えで同じことをします。それが大学生の就職活動です。

ところが僕には明確な志望業界もなければ、どこの会社に入りたいという気持ちもありませんでした。ただ、親が納得するような、“安定した会社”に入らなければという気持ちだけはありました。

余談ですが、僕が一番苦労したのは志望動機を考えることでした。その会社を志望しているのは、業務内容に興味があったわけでもその会社が好きなわけでもなく、ちゃんと給料をもらえそうだから。ただ、それだと直接的すぎて企業担当者が嫌がるから、仕方なくそれらしい表現を“創り出して”面接に臨んでいました。

そんな感じだったので、100社エントリーして一次面接通過が40社だったのですが、結果は全落ち。気が付いたら、大学4年の9月まで内定がないのは僕だけになっていました。どうしてこうなった。

僕が焦る以上に親が焦っていました。だって、名の通った大学に通わせているのは、“いい会社”に勤めさせるためなんですから。内定がゼロなんて冗談じゃないわけですよ。

母親からは「(面接では)熱意を見せて。頑張ります!何でもやります!そう伝えればいいんじゃないの?」と言われ続けてきたので、一時期実践していました。しかし全部落ちました。

しまいには「資格取らなかったから」とか「バイトじゃなくてもっと勉強してくればよかったのに」とか、今考えてもどうしようもないことをネチネチ言ってきます。

結局、都内で就活していたのを県内に変更、大企業のグループ会社とかではなく通念採用しているような中小企業を受けるようにしました。すると1ヶ月で内定が出ました。

就職先が決まって喜ぶ家族。僕ももちろん嬉しかったのですが、どちらかといえば、学生時代から長きに渡って続いていた親からの管理、これから解放されることが嬉しかったです。

この時、僕は23歳。小3で塾通いが始まってから実に14年間、今ではよく頑張ったなと思います。

おまけ:『頑張っていれば報われる』は身をもって知ることができた

僕の新卒入社の会社は自動車販売会社でした。営業職として、新車を販売すること、点検の入庫台数を確保することが僕の仕事です。

『いい大学に行っていい会社に勤めて仕事を頑張れば安泰』

この言葉を無意識のうちに人生の軸としていた当時の僕は、それまでの自分の人生を振り返り、以下のように捉えるようになっていました。

  • いい大学→まぁまぁ実現した
  • いい会社→全く実現しなかった
  • 仕事を頑張る→死ぬ気でやるしかねぇ

つまり、会社のランクがアレなので、バランスを取るためには優秀な成績を残すしかない、ということです。僕の頭の中は、ずっと偏差値思考だったのです。

入社が4月、一人で営業活動し始めたのが6月、その6月に4台新車が売れました。ビギナーズラックってやつです。

しかし、この前入ったばかりの人間が売れ続けられるほど、自動車営業はヌルい仕事ではありません。7・8・9・10月と受注台数はゼロ。いくら新人でも、販売会社においてゼロは悪です。しかも4ヶ月連続なんて、あってはならない事態なのです。

(受験もパッとせず、就活の結果も思った通りにいかない。仕事もだめかぁ)

僕は自分の人生に希望を見出せなくなっていました。

11月になり半月が過ぎようかという頃、まだ新車が売れていない中、フラッと来店していただいた方がいらっしゃいました。

(どうせ売れないだろうなぁ)

ただ、やれることはやろうと思っていて、がむしゃらに接客しました。すると、その方に300万円ほどの新車を成約していただけることに。何で購入してくれたんですかと聞いたところ、一生懸命だったから、とのこと。

うおおおお。神は存在していたのか。頑張ってよかった。

年内売れなければ本当に辞めようと思っていたのですが、続けようと思い直した出来事でした。

その後、12月はゼロだったものの、1月に1台、2月に5台、3月に1台売れ、1年目の成績は計12台でした。

話は飛びますが、4年目に新車販売台数(新人賞)で、7年目以降は自動車保険獲得件数で全国表彰され、9年間勤務した後退職しました。

いい会社に勤めて仕事を頑張れば安泰なのかはよくわかりませんが、仕事を頑張っていれば報われる時が来るんだな、というのは本当に思います。

大人になって親への恨みがなくなっていった3つの理由

前述の通り、学生時代は親のことが本当に嫌いでした。しかし、自分が大人になって、仕事をし始めて、親になってと段階を踏むにつれて、そうした感情はなくなっていきました。

そう思う理由について挙げると以下の3点です。

  • 子どものことを心配する気持ちがわかる
  • 子どもの特性を見極められなかった
  • 親の時代はそれが常識だった

それぞれ補足します。

子どものことを心配する気持ちがわかる

自分に子どもができて、自分が親になってわかったことがあります。子どもが危なっかしすぎて、嫌でも心配になるということです。

特に僕の母親は極度の心配性でした。長男(=僕)が受験とか就職とか、それはそれは夜も眠れないほどだったのでしょう。僕が学校の成績で上位になったり、名の通った会社に就職することで安心したかったんだと思います。

子どもの特性を見極められなかった

我が子をどう育てていいか正解はありません。だから正解っぽい育て方をしたかったに違いありません。

僕は大人になってから発達障害が発覚しましたが、もちろん幼少期から得意不得意が激しかったわけです。ただ、親の時代には発達障害なんて概念はありませんでしたよね。

僕の子どもは、僕以上に発達障害の傾向が強いのですが、本当にどう接していいかわからない時が多々あります。学校の先生やアフタースクールのスタッフの方、放課後デイの方々の力をお借りして、ようやくやっていけています。

子どものことなんて、全部はわかんないです。でも、それでいいと思えるようになりました。

親の時代はそれが常識だった

僕の親が生きた時代というのは、まさに高度経済成長期からバブル期(1970~1990位)でした。その頃の常識は、おそらく以下のようなものですよね。

  • 企業の求めること:仕事がとにかく多く、効率的に進められる人が欲しいので、処理能力に長けている人材が欲しい=有名大学出身者が欲しい
  • 社員が求めること:会社の中で出世して、老後まで安心して暮らしたい。だから企業が求める有名大学に入学したい

この理屈からすると、いい大学に行っていい会社に入れば老後は安泰である、というのは間違っていません。

ただ、現代の日本において、多くの企業は仕事がなくて困っています。だから、仕事を捌ける人より、仕事を作れる人が重宝されるはずです。

もはや、いい大学・いい会社というのは手段であって、目的ではありません。

大手企業でしかできない仕事をしたいのなら、偏差値の高い大学に行った方がいいです。ただそうでないなら、無理して人生をハードモードにして、大変な思いをすることはないかなと思います。

自分の人生を生きると決めた時に実践したこと一覧

部活はやった方がいいと言われていましたが、基本的に小・中・高は大学受験に集中できるよう、余計な活動は認めてもらえませんでした。

大学生になって、ようやく自分の人生は自分で決めたいと思い始めた僕ですが、そのために実践したことを一覧にします。現在進行形で親から強めに干渉を受けている方へ、少しでも行動に移せることがあればいいなと思います。

  • 20歳(大学1年):塾講師のバイトを始める
  • 21歳(大学2年):在学中は遊びまくると決意、家にあまり帰らなくなる
  • 23歳(大学4年):単身スペイン旅行に行く(ツアーなど邪道だと思っていた)
  • 25歳(社会人3年目):結婚して実家を出る
  • 30歳(社会人7年目):ボランティアを1年継続し自分を見つめ直す
  • 31歳(社会人8年目):Facebookで生配信を始める
  • 32歳(社会人9年目):会社を辞める(会社員をやめようと思っていた)
  • 35歳(社会人12年目):適応障害がきっかけで人生初の心療内科に行く(発達持ちだと知る)、情報発信して生きていこうとブログを始める(パソコン買う)
  • 37歳(社会人14年目):現在に至る

この中で、特に人生が変わったと思うのは、スペイン旅行と、1回目の会社を辞めた時です。

スペイン旅行は初の海外でした。バイトして20万円貯めて、旅行代理店に行って航空券を取って、初日のホテルをメールで予約してと、1から10まで全て自分で段取りした貴重な経験でした。再訪するのを当面の目標にしています。

また、1回目の会社を辞めた時も大きな決断でした。何せ、1社にずっと勤め上げて定年を迎えるものだと思っていましたので。お金に困ったりもしましたが、会社員以外の働き方をすることで、自分を俯瞰して見ることができました。

終わりに。結果的に、いい大学に行こうがいい会社に勤めようが、心が満たされている感覚はありませんでした。僕の場合、ある程度の収入があって、こうして好き勝手に発信できている状態が幸せな状態です。

あなたが幸せなのはどんな時ですか?自分の人生は自分のもの、人から何か言われても、やりたいことをやってください。

今回はここまでです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. さっsき より:

    その期待に応えたいと思えない親であったことが最大の不幸。子育て失敗

    • わたなべ より:

      コメントいただき、ありがとうございます!
      心中お察しします。僕もずっとそう思ってました。でも諦めました。
      親であったとしても、自分以外の人間のことは変えられないので。
      どうか、その親御さんを反面教師として活かしていってほしいと願っています。

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